ドナルド・トーマスとステファン・ホルム
ステファン・ホルム(スウェーデン)、ドナルド・トーマス(バハマ)。男子陸上走り高跳びの選手である。
NHKスペシャル「ミラクルボディ」第3回放送で知った。
- 身長差20cmを技術で越える最も小柄な金メダリスト、記録と身長との差が世界記録59cmのホルム。
- バスケットボール出身、初めての、練習もしないで飛んだ記録が昨年の日本優勝記録を超えるトーマス。
天才トーマス
トーマスは高飛び選手としては標準的な体型だが、人を飛び越えてダンクを決めれるほどの驚異的なジャンプ力がある。
垂直とびは93cm、NBA平均は70cmとからしい*1。
トーマスのコーチは言う「生まれ持ったリズムを壊したくないから技術を教えていない。」
セオリーにそぐわない滅茶苦茶なフォームで大阪の世界陸上を制した。
努力のホルム
ホルムの垂直とびは60cm、これは日本の代表より低い。では何で飛んでいるのか、それは助走スピード。
「テストだろうが常に本番のつもりで飛ぶ。」と言い、NHKのカメラの前で強い「息吹」をして飛んでみせるホルム、トーントーンと弾むように走っていき、流れるように背中がバーを巻き、無理なく足が上がってバーを越える。そのジャンプフォームは「美しい」の一言*2。
背面跳びの物理学
ホルムのジャンプの瞬間を見ると意外にも踏み切り足が伸びたままだ、これでは強く踏み切れてないのではないか?と思ったが、そうではないらしい。
一本の棒を軸に対して真っ直ぐ、地面に対して斜めに叩きつけると回転しながらバーを越えていく。TVでは実際に2mほどの棒を高飛び棒の前でモリを突き立てるように地面に叩きつけていた。するとこれが見事に回転しながらバーを越えていくのである。これを「起こし回転」と言い、助走スピードをそのままジャンプ力に転じさせるための方法らしい。当然軸足にはものすごい衝撃が掛かる、なんと体重の10倍650kg。パンチなら即死ものの衝撃だ。
神はなんと残酷か。
ホルムは6歳から飛んでいる。身長の伸びは180cmで止まってしまった。それでも飛び続けている。その美しく完璧な飛行フォームは鍛錬によって身に着けた努力の結晶だ。
その努力の結晶が、努力なき才能に凌駕された。
世界選手権を振り返るホルム「あんなことは100万年に一度の出来事だ、僕は絶対に負けない。二度と」
トーマスはキャリア1年半で世界一になった。
- 「今でも一番好きなスポーツはバスケットだ」
解説を務めた元日本記録保持者の吉田孝久は言う「ここまで洗練されてない選手は見たことがない」
助走の目安となるマークをしない、踏み切り位置が近過ぎる、踏み切りのひざが大きく曲がっている、空中で足をばたつかせる。
何もかもセオリー外、これでは助走スピードを反発力に変えることが出来ない。
トーマスは助走スピードではなく脚力・腰の伸展力で飛んでいた。空中で足をばたつかせるのも、この跳び方では生まれないはずのバーを越える回転を生んでいるのだった。
- 「僕は高飛びって言うよりバスケット選手のように跳んでいるのさ」。
トーマスは陸上競技場で1人ダンクシュートを狙っていた。実際映像を重ねてみるとトーマスの跳び方はバスケのシュートにそっくりで、両手をボールを持ってるかのように掲げる様まで似ている。
アキレス腱の違い
固いアキレス腱の特性を引き出すホルム。これも生まれつきではない。
ホルムは負けてから、今まで以上の負荷を自分に課し武器に磨きをかけている。限界を超えれば破滅の危険も高まるだろうに、美学と執念。
トーマスのアキレス腱は26cmと際立って長い。固さより弾力がまだありそうだ。
番組の生み出した物語
番組はまずオープニングからトーマスのみをクローズアップする。
「あれで何で飛べるんだい?」と言わんばかりに首を振り、苦笑いするライバル達。抜かれたホルムは祈るように顔を覆った。次にホルムの努力を長い時間をかけて取り上げる。
ホルム=善玉、トーマス=悪役、となってしまいそうなシチュエーションだが、番組は終盤にトーマスの変化を描いた。
1月にスウェーデンの試合でホルムに負けた。その試合から既にトーマスは替わり始めていた。2月のドイツ大会では初めて助走のマークをする。慣れない方法でジャンプ失敗を繰り返すトーマス、でもこう言う「テクニックを身に着ければ世界記録を敗れるんだ」。
そして負傷。踏み切りの左足を痛め、遠征を中断。
トーマスはまだ飛ぶことが出来ない、だが、怪我を悪化させない程度に助走の練習は続けている。飛べない今の思い。
「練習すればどこまでも高く飛べる」番組の最後にそう言うトーマスの背後の大空を飛ぶ飛行機雲が美しかった。
2人は、北京五輪で激突する。
参考
NHKスペシャル|ミラクルボディー 第3回 ハイジャンプ 翼なき“天才”
http://www.nhk.or.jp/special/onair/080427.html
これを見れば2人の飛行姿勢の違いが一目瞭然だと思う。
*1:マイケル・ジョーダンの記録は122cmらしいが