日本学生の読解力が落ち込んでる。

自分はこのニュースを聞いてナチュラルに「ゆとり教育」がやはり何か重大な欠陥を含んでるが故ではないかと思ってしまったが、こちらの深い考察を読んで目から鱗の落ちる気分。
■日本学生の読解力低下が問題ではなく文化差異が問題だ (極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/12/post_4.html

読解力の出題は前回のものだがPDFでこちら↓にある。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/etc/oecd2004/ (毎日)
一個だけリンクが間違ってる。こうだhttp://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/etc/oecd2004/image/07.pdf
出題2と3及び、出題1の問1・2は簡単な、まさに読解力と言う奴でできなきゃヤヴァいと言っていいが、出題1の問3・4が問題で、二つの相反する壁の落書きに関する意見の手紙から「内容」と「スタイル」について自分の意見を述べさせるものだ。

私はこうしたとき、まず、日本人の心としては、
「第一そんな議論なんて虚しいし、無意味。壁の落書きなんて駄目に決まっているじゃないか。でも、今晩、君と一緒にやろうというなら覚悟して付き合ってもいいよ。」と思う。
だが、
それは意見でもなんでもない
難しくいうなら、私のリアクションは、ただの政治判断なのだ。

ん、ん、ん。なるほどそれは日本人には難しい。例題では個人の所有物とそうでない物の違いに関してソフィアに突っ込みたくなるが、相反する二つのものにどちらが正しい、正しくないと言うのは「本人を目の前にした途端に」やりたがらなくなる*1のが日本人にありがちな特性と言う物だろう。


まぁこの論からはずれるが自分は子供なんてものは詰め込み教育でいいと思ってる。
オーバーフロウを起こして知恵熱どーん、とそういう位でなくてはならぬ。
世界はでかくて深いのだ。簡単に相手になると思ってもらっては困る。

ただ日本の教育では詰め込んだものを吐き出せるか結構綿密にテストされる。
おそらくこれが必要ない。
良いものを(できるだけ良いものだけを)一杯、子供の体を通しておく。
こういったスタイルの詰め込み教育が大事だろうと自分は考える。


ネタ元(id:arikui:20041208#1102485511、arikuiさんのしょっちゅう名前変わり過ぎる日記)


*1:相手の姿が見えなくなるとやりたがる