父・宮崎駿は、私が『ゲド戦記』を監督することに反対でした。

唐突に聞こえるかもしれません。しかし、まず、これを明らかにしておきたいと思います。

な、なんだってー(AA略
ゲド戦記」監督日誌 - 前口上
http://www.ghibli.jp/ged_02/10maekoujyou/


そ、そうだったのか。

  • いちばん面白かったのは、第1巻
  • ゲド戦記』において、魔法とは、物の本質を探り真の名を知ることで、そのものの存在自体に働きかけることなのです。
  • ゲド戦記』でも魔法そのものが正義というわけではありません。
  • 三十半ばになって、あらためてこのシーンを読んだとき、私は、簡単に読み飛ばすことができませんでした

この辺を読んで物語に対する感覚は大丈夫だ(失礼な言い方だが)と本当に思った。

ゲド戦記』の宣伝が開始されれば、好むと好まざるとに関わらず、それを監督する私に「宮崎駿の息子」という形容詞が冠されることは容易に想像がつきます。これに対して鈴木敏夫プロデューサーの出した結論は、「作品そのもので応える」ことはもちろんだが、「作品そのもので勝負するためにも、『宮崎駿の息子』ではなく一人の人間としての宮崎吾朗を知ってもらうべきだ」というものでした。

とブログを始めた理由を語っている。


これはカラスノエンドウが傷ついたゲドに真の名を教えるシーンとか、アーキペラゴの竜の「誓おうぞ!」とか、凄く楽しみになってきた。


情報元(ゲド戦記: アルカンタラの熱い夏 http://www.editide.com/archives/001137.html