煙草はいかんよね

と言うだけの話ではない。
http://d.hatena.ne.jp/azakeri/20050926/p2 (あざけり先生、台風きどり-禁煙ファシズム発動(大事な人に押し付ける))

そう言えば大学のサークルには煙草吸いは少なかった。我々の団室は禁煙であったし。今でもそうなのだろうか?もう一つの同系列サークルの部屋は喫煙所であり、自分は煙草を吸う時期も吸わない時期もあったが、(不文律であったかもしれないけど)自然に禁煙であった所属する部屋の雰囲気が好きだった。


さて自分に不利益な情報が入ってきたときに、自分でもそれ程重要視していない情報を強く拒絶反応的に主張してしまうのはありがちなことだ。自戒したい。
そういう論理と欲望の追い狭まった状態を「認知的不協和」と言うらしい。
http://irwin.t.u-tokyo.ac.jp/Dame/Dame_2nd_report.htm


我々の住むスタジアムでも「発煙筒は意識を高めるために必要」とか「ヨーロッパの本場ではケンカくらい普通」とか、それに何ぼの効果があるのだと言いたい小理論が横行する一部分がある。

両方読むとさらに興味深いだろう。